髙橋 |
確かにな(笑)。だけど、時間が来たら食事は下げられるってのに、ゆーっくり食ってるからさ。「状況判断が甘い、間抜け野郎。世間は厳しいぞ」って、身をもって教えてたんだよ。
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ヒデ |
だからってバクバク食べる必要ないよね。ほかにも、這って移動してる時にズボンを踏んで脱がしてきたり、いろんなイタズラをされた。だから当時は、先生のこと、嫌いだったな(笑)
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髙橋 |
でもな、そんなイタズラをしたのにはちゃんと理由があったんだよ。本人はあまり自覚がないだろうけど、ヒデは非常に重症だった。手術しても生き長らえる見込みの少ない「手術適応外」だったんだ。そういう子は命が助かった後も、保護的環境に置かれて必要以上に守られがちだ。でもそれじゃ、社会で生き抜く上で必要な困難を突破する力や、つらいことがあっても笑って前に進んでいく力は鍛えられない。外国では、ハンディキャップを持つ子たちのことを「チャレンジャー」と呼んだりする。要するに、挑戦によって社会に適応する力がつき、高まっていくんだ。だから俺は、ヒデがこれから生きていく「社会」という厳しい環境を、小さいうちからリアルに感じ取らせたかった。松浦家にちょくちょく行ってただろ。あれも、その行動の一環だ。
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ヒロ |
先生、頻繁にうちに来てたよね。しかも、いきなり「寿司握るから準備しとけ」って連絡してきて、勝手に何人も連れてきたりしてね(笑)
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ヒデ |
「虫取りに行くぞ」って言い出したこともあったな。誰よりも先生が張り切って、とんでもない数のコオロギを採ってたのを覚えてる。あと、人んちの風呂に勝手に入っていたり。普通じゃ考えられないよね(笑)
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髙橋 |
そういう風に一緒に過ごす中で、俺は、ヒデがいろんなことに挑戦する機会を増やしてたんだよ。寿司屋に行かなくても寿司は作って食えるし、みんなで食べると楽しいよな? 考えるよりも、想像を膨らませていろいろやってみる。何もなくても、「仲間」がいればなんとかなる。俺はそういう体験や実感を通して成長してきた。お前たちにも小さいうちから「努力したら自分たちでどうにかできるもんなんだな」ってことを体感させたかったんだよ。
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ヒロ |
我が家にとって先生は、頻繁に来る「親戚のおじさん」的存在だったけど、その裏にはそんな深い考えがあったんだね。
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